珍バロ道中膝栗毛

珍バロ道中膝栗毛

 

関東支部 加屋野木山

 

 

「なんでチェンバロを作るんですか?」

そんな質問をいただくと、私は嬉しくなる。間違っても「なぜチェンバロを作るんですか?」ではない。「なんで?」これが重要である。

その問いに対し、私は嬉しさをかみ殺し、おまけに苦虫まで噛み潰した渋い表情をおもむろに作り「もちろん、工具で作ります」と答える。

 

昨年の夏から秋にかけて、私は14台目の楽器を作った。私は漱石翁と違い、すぐに名前をつけてしまう。「木太郎君」である。名前はあるが、意味は無い。

今回の楽器は、ラウテンヴェルクのような、わかりやすく説明すると、リュートのような音がするチェンバロを目指した。何が普通のチェンバロと違うかというと、金属弦を使わない、柔らかい音がする、それだけである。

 

依頼があったのは、春。懇意にしているチェンバリストから、次回のリサイタルでは、リュートの曲や、リュート作曲家の鍵盤曲などを取り上げたい、と打診され、「それならリュートチェンバロを作りましょう」と張り切ってしまった。張り切った割には、日々が忙しく、図面を引いて、新木場に木材を調達に行ったのは7月、事実上製作に費やせた期間は30日間くらいだったような気がする。

 

自慢にならないことを自慢することが、私の得意芸の一つだが、私の家には冷房が無い。部屋に無いのだから、当然工房にも冷房はおろか、扇風機も無い。ボディを曲げるには、ストーブで板を熱するのだが、その時の室温たるや40度を軽く超え、タダでサウナに入れるありがたい状態になる。8月に自宅でサウナを体験できることが、さほど嬉しく無いことも、悟ることになる。

 

とはいえ、夏に楽器を作るのは初めてでは無い。基本的に仕事の無い冬に楽器を作ることが多かったが、時々夏にも作っている。毎回、汗だくになって「2度と夏には作るまい」と誓うのだが、年々忘却力もたくましくなり、完成と共に記憶から抹殺される。ただ、汗だくの夏は、体には良い。なんといっても、生きている実感がハンパなく漂い、冬に風邪をひきにくい体になってくれる。

 

私の場合、チェンバロを作ると言っても、普通の楽器は作ったことが無い。いつだって様々なモチーフと試みをふんだんに蓄えている。なので、珍バロ製作家と呼ばれている。最初の楽器から、オクターブを19分割していたし、時にはチェンバロ型のクラヴィコードだったり、響板を放射状にしたりと、オーセンティックの対極に位置している。もちろん、それぞれに意味はあるのだが。

 

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ラウテンヴェルクというのは、バッハも所有していたらしいが、残念ながら現物は残されていない。絵や文献から、様々な製作家が復元楽器を試作している。私もかつて二台目の楽器で、テオルボヴァージナルというものを作ったことがある。ヴァージナルというのは、チェンバロの発音機構で、四角い箱型の楽器である。これは、とても良い音がしたのだが、すぐに崩壊して廃棄した。南無。

 

プロの製作家による復元楽器は、弦にガットを用いている。ガット弦は、バロック時代のヴァイオリン属や、ガンバやリュートなどにも使用されていて、古楽の現場では、現在でも活躍している素材である。音は素晴らしい。それは知っている。がしかし、湿度変化に弱く、可哀想な奏者を何百回と見てきてた。そして私は調律屋である。調律が狂い易い楽器など、作りたいわけが無い。

 

二台目の楽器を作った時、私はリュート奏者を訪ね、ガットの代用品として、音色が近いフロロカーボンの弦を教えていただいた。太さも何種類もある。なんてったって、これは釣糸として売られているのだ。つくづくありがたい時代と地域に生まれたものだ。これが30年ずれていたら、あるいはお隣の国に生まれていたら、と思うとぞっとする。私の楽器は一台も生まれなかったことだろう。

 

さて、中高音の弦は、このフロロカーボン100%の釣糸で安心していた。経験もあるし、音色の方向性も把握している。問題は低音だった。太すぎる弦は、子音が弱くなる。同じ音量を有していても、子音の含有量が少ないと、音の存在感は薄れていく。つまり、演奏する時の左手と右手のバランスが悪くなり、楽器としての信頼感が著しく阻害されてしまうのである。嗚呼由々しい。

 

設計の段階から、この問題は想定していた。図面上では、プラッキングポイント、いわゆる打弦点を通常のチェンバロよりも手前にしてみた。しかし限界がある。出来上がった状態では、ヴォイシングで何割かは調整できる。それでも限界がある。なもんで、やはり弦の材質に依る部分は大きく、数種類の釣糸、お琴や三味線の弦など、弦屋が開けるくらい様々な材質を購入した。

 

スタンダードに、最も容易な近道としては、リュートやテオルボなどに使用されている巻線を購入すれば良い。しかし、それらの弦は、芯線がガットであり、つまるところ、湿度変化による調律の狂いは回避できない。それでは何のためのフロロカーボンなのかが不鮮明になる。そのため、釣糸を縒ってみたりと様々な試みに勤しむ晩夏になった。チャレンジは楽しい。ただし結果が出ればだが。

 

今回のミッションのもう一つの壁は、時間だった。リサイタルは1119日。少なくとも、その一月前には奏者に楽器を預けなければならない。演奏者にとっては、音楽を編み上げる為に、楽器の音色やタッチに依る部分が少なくない。ましてや、今回の楽器は音色だけでなく、音の減衰も通常のチェンバロと大きく異なる。ボディが完成して、低音弦の試行錯誤は深夜に及んだ。

 

とはいえ、私も愚かなくらいチャレンジャーである。そんなタイトな時間的作業的環境でありながら、さらなる試みを盛ろうとするのだから、当時を懐古しながら「おバカだなぁ」と呆れてしまう。それは、ウィーン式のフォルテピアノで見かける、膝レバーによる、ダンパーペダルの取付だった。減衰の短い分、全部解放弦にすることで、表現が増えるのでは、という試みである。

 

これには理由がある。世の中で復元されているラウテンヴェルクは、ダンパーが付いてないものが多くある。ダンパーをつけなくて良いくらい、減衰が短いからであろう。私はバロックハープも調律するので、その開放弦による響の豊かさも体験している。それならば、ダンパーをつけなければ良い。ましてペダルなんぞ、時間も手間も何倍もかかるのだから、諦めろ、と悪魔が囁く。

 

しかし悪魔は知らない。チェンバロにおけるダンパーの役割を。ピアノであればダンパーは音を止める役割だけ担っている。しかしチェンバロでは、ダンパーは連打に大きく関わってくる部品なのである。ダンパーが適正に調整されていないと、トリルが入らない原因になることもあるのだ。それは、弦を小さな爪で弾くという、チェンバロの発音機構に由来する独特な現象である。

 

爪で弾かれた弦は、上下左右に揺れる。小さな爪は、ヴォイシングでタッチと音色を整えると、弦の振幅より短くカットしなければならないことが多い。トリルを弾いて、弦が爪の長さより遠くに揺れている瞬間は、音が出せないのである。それをダンパーが抑えることにより、常に弦の位置は爪の長さの範囲内に留まり、連打が可能になっているのである。ダンパー様様なのである。

 

そんなわけで、ダンパーをつけて、なおかつ解放するペダルをつけたかった。通常であれば、ダンパー専用のジャックを作って、それを一斉に持ち上げれば、ピアノのような効果は得られる。しかし、私は全てのジャックを1ミリ上げ、つまり鍵盤ごと持ち上げてペダルの効果を出すという荒技を思いついてしまい、それに酔いしれ、後々調整で悪魔は優しかったのだと気づくのであった。

 

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そして秋。楽器はなんとか着地点を与えられ、コンサートは大盛況で終了した。私は、コンサートで三つの音を聞いている。一つは、調律の精度と持続。二つ目は、奏でられていく音楽。そして三つ目は、聴衆の拍手の中の体温である。調律の持続は自信があった。なんてったってフロロカーボンである。温度変化などビクともしない。そして、二つ目、三つ目の音が、涙腺を破壊しやがった。

 

静かな工房で、新しい冬を迎えた。次の楽器の準備も始まっている。「なぜ楽器を作るのか」という問いに、答えなければいけない時もある。理由は二つ。一つは、自分でメンテする楽器は、一度でも作ってみた経験が役に立つから。二つ目は、いつか鍵盤弓奏楽器を作りたいから。ガイゲンヴェルクよりも音楽的な弦を擦る鍵盤楽器を、いつか作ってみたいから。

 

新年早々、私は過ちを犯した。昨年の写真などのデータを全て消去してしまったのである。様々な出張や、楽器製作の過程や、親しい人々との記録が、一瞬で消滅してしまったのである。かなり落ち込んでいる。この文章に写真を一枚も掲載できないのは、このミスのせいである。忘却力の加速に負けじと、うっかり力も逞しくなってきていて、人生が辛くなる。

 

がしかし、かろうじて、ラッキーなモノが残っていた。Youtubeにアップした製作過程の動画が残っていたのである。そして、フロロカーボンな楽器は、5月の日本チェンバロ協会のイベントで展示させてもらえることにもなった。展示では多分ペダルは付けないと思うのだけれど…。ご興味を抱かれた方は、是非そちらをご覧いただきたい、そんな今日この頃ですが、お元気ですか?

 

 

チェンバロの日!2017 (日本チェンバロ協会主催)

51314日 世田谷の松本記念音楽迎賓館

詳細は「日本チェンバロ協会」のHPをご覧ください。

 

楽器製作動画 木太郎君

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